グラミン銀行は「貧困があるから成長している」のか?

ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行は(これはもちろん経済学賞ではないのだが)、国家規模の貧困に対して実際にはどの程度の有効性があるのだろうか。今ひとつ分からない。
バングラデシュというと、昔、最初にその国の名を初めて聞いた当時から、貧困のイメージがぬぐえずにいる。事実、そうなのだが。

今日、吉野家にて牛丼を食した。しかし、店員さんが明らかにインド人なのだ。いや、まさか。それではあまりに毎日が切ないだろう。と思って、調べてみる。
店員氏の名前をうろ覚えだが名札で覚えていたので、それをローマ字に直して検索した。
 インド ○○ 10400件
 パキスタン ○○ 4500件
 バングラデシュ ○○ 11000件
ということは、おそらくバングラデシュの人なのだろう。少しほっとする。
バングラデシュの人がインド人と間違われるというのは、日本の人が韓国人に、あるいは、韓国の人が日本人に間違われるのと同じ気分なのだろうか。

最初にその店員氏を見たときのもう一つの疑問は、あれ、インドの人がなぜ吉野家でバイトを?ということだ。IT企業とかでアルバイトとかじゃなくて?と、自分の貧弱な想像力を恥じつつ、本当にそう思った。自分の中で、インドといえばカレーだった時代からインドと言えばITという時代になった。そういうことである。(日本がメイドインジャパンではなくアニメや寿司などの文化で語られるのは、そういう意味では枯れていく過程であり、一種の退行なのだろう。ノスタルジーという感じもする。)

インド料理の店にはインド人の店員がわんさかといるし、インド人のコミュニティがきちんとあって、現地を取り仕切る人がいる。仕事の世話をしたりもされているだろう。中国系のコミュニティは、日常、自分の意識下になぜか相当の存在感を持っているのだが、インド系のコミュニティについては、それほどでもない。ただ、インド料理店の店長にインドコミュニティのコンサートに招待されたことがあった。それから数日はスパイスの香りが脳から離れなかった。もちろん、バングラデシュの人もそういうコミュニティはあるのだろう。

インドでは、カーストが現に存在しているのだが、経済発展の障害にならないのか。いや、IT産業のような新しいものは、どのカーストもあてはまりにくい。高度な知識が必要な一方で、単純作業の忍耐力も求められる。だから低いカーストを含めても差別無く協力してやっていけるのだ、という分析をどこかで読んだが本当はどうなのだろう。

インドは、貧困ではなく、今や富豪の国のイメージが強い。実際、フォーブズによると億万長者の数が日本を抜いたそうだ。もちろん、もう一方の極には果ての知れない貧困があるのだろうが、wikipedia的には、「インドは貧しい国ではなく、貧しい人が多く住む国である」のだそうだ。
しかし貧しさがどうということよりも、インドといえば、悠久の時の流れであり、超越、不思議、神秘というイメージが支配している。そう、インドは貧困という事実は、そういう印象の前にはかき消されることが多い。

そこで、バングラデシュのことが思い出された。
前置きが長くなったが。

バングラデシュ - Wikipedia

世界有数の豊かな土地を誇り、外からの侵略も絶えなかった。黄金のベンガルとも言われていた時代もあったが、現在では貧困国の一つと言われている。



バングラデシュは内外問わずに援助を受けているにもかかわらず、過剰な人口や政治汚職などによって未だに貧困を脱しきることが出来ないでいる。国内総生産の半分以上はサービス業によるものであるが、国内の人口の内、62%は農業に従事し、7割以上が農村に住む。主要農産品は米(世界生産量第4位)およびジュート(コウマ・シマツナソ)である。コメの生産量では世界でもトップクラスにあり、かつ生産量も年々微増しているが、人口が多いため、コメ輸入国となっている。

バングラデシュの発展を阻害している物としては、多発するサイクロンやそれに伴う氾濫などの地理的要因、能率の悪い国営企業、不適切に運営されている港などの人的要因、第一次産業のみではまかない切れない増加する労働人口などの人口要因、能率の悪いエネルギー利用法や十分に行き渡っていない電力供給などの資源的要因、加えて、政治的な内部争いや崩壊などの政治的要因が挙げられる。2001年?2003年には政治崩壊を分析するトランスペアレンシー・インターナショナルによる分析では世界でもっとも政治崩壊した国としてランクインしている。

緑の革命」といわれる農業生産の近代化促進が政策として行われたが、設備投資への農家の支出を増大し、一方で生産量増大はその負担を埋めるまでにいたらないという問題を抱えている。

2004年6月より、バングラデシュは、628人が死亡、国土の60%が洪水に覆われるという過去6年間で最悪の洪水を経験した。この洪水では農作物に被害が及んだことにより2000万人が食料援助を受けなければならない状態になり、国の輸出の80%を占めると言われる織物産業に大きな被害が出た。政府はこれによる被害が70億ドルに達すると見ている。

グラミン銀行の貸付額は50億ドルで、その活動地域は全国の90%の地域に上るというから、もちろん地域社会に貢献しているのであるが、それにしてもこの70億ドルという洪水被害に比べて、無力と言えばあまりに無力なのであろう。
別に疑りというわけではない。ただ純粋にその経済的効果について、誰か知っていたら教えてほしいと思っている。

バングラデシュは、国土が貧しいかと言えば、むしろその逆だと言う。この貧困は、政治の産物なのだろうか。

8世紀の中葉にパーラ朝がなり、仏教王朝が繁栄した。12世紀にヒンドゥー教のセーナ朝にとってかわられた。13世紀にイスラム教化が始まった。16世紀にはムガール帝国の元で、商工業の中心地へと発展した。15世紀末にはヨーロッパの貿易商人が訪れるようになり、18世紀末にイギリスの東インド会社により植民地化された。東インド会社によってイギリスは支配をインド全域に拡大した。インドの他地域同様、バングラデシュもインド独立運動に参加し、1947年には独立を達成したが、宗教上の問題から、ヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はパキスタンとして分離独立することになった。

インドをはさんで東西に分かれた両パキスタンが成立すると、現在のバングラデシュは東パキスタンとなった。言語の違い、西側に偏った政策などから東西パキスタンは対立し、独立を求めて西側のパキスタン(現パキスタン)との内乱になった。パキスタンと対立していたインドが東パキスタンの独立を支持し、また第3次印パ戦争がインドの勝利で終わった結果、独立戦争を経て1971年に独立が確定した。

現在は、親インドとは言わないまでも、パキスタンに対するよりも相対的に近い関係なのかもしれない。現在の政権についてはわからない。どうなのだろうか。イスラム教が支配的であるから、もちろん一体となることは考えにくいが、少なくとも経済的にはインドの縁辺に属すると言えるのだろう。
おそらく政治的な腐敗や怠惰が貧困の原因の相当を占めているはずであり、そうであれば、グラミン銀行の存在はそうした政治的立場から中立でいられるはずもない。現に次の総選挙では新党を作って政治活動を始めるようだ。
そう、繰り返しになるが、グラミン銀行が受賞したのはノーベル平和賞であって、経済学賞ではない。貧困に対してどの程度の効果があるだろうか。ノーベル平和賞というのはほとんどファンタジーのようなものであると思うのだが、そのファンタジーによって、貧困という本質的な問題から、むしろ目を逸らされる結果につながっているというのは心配しすぎだろうか。

山形氏の言うように(http://hotwired.goo.ne.jp/altbiz/yamagata/010227/textonly.html)基本的に、グラミン銀行営利企業に属するものだ。バングラデシュの人口増加率が2%近い(バングラデシュ基礎データ | 外務省)ことを考えると、この銀行が貧困の削減に貢献しているのではなく、実は、「貧困とともに成長し、貸し付けを伸ばしている」と見ることができるのではないだろうか。
参照:http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20061024/112290/?P=2

もちろん、出発点において善であることを特に疑うものではない。しかし、日本における社会格差と消費者金融の発展との関係と、外形的な意味でさしたる変わりはないのかもしれない。
無論、そうじゃないと思いたい。しかしこれによって、実態的に経済が発展し、貧困が減少し、人々の幸福量が国全体として増したというマクロ的・客観的な分析に、まだ行き当たらないのも事実なのである。